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名古屋地方裁判所 昭和60年(ワ)5号 判決

原告

山下泰博

右訴訟代理人弁護士

伊神喜弘

右同

今井安榮

被告

三菱自動車工業株式会社

右代表者代表取締役

舘豊夫

右訴訟代理人弁護士

村瀬鎮雄

右同

宮嵜良一

右同

岡島章

亡加藤義則訴訟復代理人弁護士

宇都木寧

右岡島章訴訟復代理人弁護士

西脇明典

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一原告の請求

一  被告が昭和五九年一〇月一二日付けで原告に対してなした減給一等の懲戒処分が無効であることを確認する。

二  被告は原告に対し、金三〇〇万円及びこれに対する昭和五九年一〇月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、被告の従業員である原告が上司二名に対して暴行したことを理由として昭和五九年一〇月一二日付けで被告が原告に対してなした減給一等の懲戒処分について、原告が〈1〉原告は上司に暴行を行っていないから処分事由が存在せず無効である、〈2〉右懲戒処分の手続が被処分者たる原告に防禦の機会を与えないでなされた等違法なものであるから無効である等と主張して右処分の無効確認を求めるとともに、無効な懲戒処分を受けたことによって精神的苦痛を蒙ったとして不法行為に基づく慰藉料請求をした事案である。

一  争いのない事実等

1  当事者

(一) 被告

被告は、昭和四五年に三菱重工業株式会社よりその自動車部門が分離独立した会社であり、資本金は三五一億七七〇〇万円、主な事業は自動車及びその構成部品の開発、設計、製造、組立、売買、輸出入、その他の取引業、社員数は約二五〇〇〇名である。

国内の生産工場としては、東京自動車製作所(川崎工場、丸子工場、中津工場)、名古屋自動車製作所(大江工場、岡崎工場、以下「名自」という)、京都製作所(京都工場、滋賀工場)、水島自動車製作所がある。

(二) 原告

原告は昭和二八年一月二四日生まれの男子であり、昭和四六年三月私立東海工業高等学校卒業後、昭和四六年四月一日被告名自に技能訓練生として入社し、昭和四六年四月名自大江工場(以下「大江工場」という)大江工作部ボデー課最終仕上班、同課側骨格溶組班(サイドストラクチャー班)、同課ライン溶組第二班、同課本付班、同課改善班等に順次配属され、同五六年五月同課フロアー溶組班に配属されて現在に至っているものである。

2  本件懲戒処分の発令

被告は、昭和五九年一〇月一二日付で、原告に対し、左記のとおりの発令書(以下「発令書」という)をもって、原告を減給一等にする旨の懲戒処分(以下「本件懲戒処分」という)をなした。

去る八月七日八時頃、伊藤副作業長を一五工場小椋班休憩所付近で床面に倒した行為は、上長に対する暴行行為であり、社会的にも許されぬ行為である。しかも、当所では前例のないものであり社内の職場秩序維持という観点からも許し難い。更に前日の八月六日一五時頃には、安全福祉課山田主任へも暴行を加えており、その様な、重ねての暴行行為は、当社の社員としてあるまじき行為であり厳しく処分する必要がある。よって名古屋自動車製作所就業規則第七二条第一項第五号及び第六号により厳重に処分すべきところ、特に情状酌量し、減給一等に処する。

3  就業規則等の定め

(一) 被告は、名自社員就業規則(以下「就業規則」という)を定めており、その一二章において社員の懲戒に関して次のとおりの規定が置かれている。

(1) 七〇条一項

懲戒は、けん責、減給、出勤停止及び懲戒解雇とし、次の方法によるものとする。

一号 けん責は、始末書をとり、将来を戒める

二号 減給は、始末書をとり、一回の額が平均賃金の半日分以内でその総額がその賃金支払期間の賃金総額の一〇分の一以内の額を徴収し、将来を戒める

三号 出勤停止は、始末書をとり、一〇日以内就業を禁止し、将来を戒める

四号 懲戒解雇は、予告期間を設けないで即時解雇する

(2) 七二条一項

社員が次の各号のいずれかに該当する場合は、懲戒解雇に処する。ただし、情状酌量の余地があると認められるときは、出勤停止または減給にとどめることがある。

五号 正当な理由なしに業務命令もしくは上長の指示に反抗し、または職場の秩序をみだしたとき

六号 他人に暴行脅迫を加え、またはその業務を妨げたとき

(二) 右就業規則付則二項は、同規則を実施するに当っての細部事項は「社員就業規則細部取扱」(以下「細部取扱」という)に定める旨規定しており、細部取扱によれば、減給は五等級に区分され、減給一等が本人の平均賃金の一日分の五〇パーセント相当額を、同二等が四〇パーセント相当額を、同三等が三〇パーセント相当額を、同四等が二〇パーセント相当額を、同五等が一〇パーセント相当額をそれぞれ減ずることとなっている(証拠略)。

(三)(1) また、被告と全日本労働総同盟三菱自動車工業労働組合との間で締結された労働協約(以下「労働協約」という)において、懲戒手続について次のとおり定められている。

八八条

一項 会社は組合員の表彰、懲戒を公正に行なうため、事業所に表彰懲戒委員会を設ける。

二項 前項の委員会の構成及び運営について事業所は支部と協議して決める。

(2) そして、右労働協約八八条二項に基づいて、事業所である名自と右組合名古屋自動車製作所支部(以下「組合支部」という)との間で「事業所協定」が締結されており、その一二条において「協約八八条による表彰懲戒委員会の構成並びに運営については、別に定める表彰懲戒委員会規程による」旨規定している。

(3) 右表彰懲戒委員会規程は、規程の目的(一条)、委員会の目的(二条)、委員会の構成(三条)、委員長の任務(四条)、委員会の開催(五条)、所長への報告、決裁(六条)、委員以外の出席(七条)等について定めており、その要旨は次のとおりである。

すなわち委員会の構成は、事業所の副所長が委員長となり、委員として、事業所側から総務部長、勤労課長及び委員長がその都度指名した者三名以内が選任され、組合支部側から組合支部執行委員五名以内が選任される外、二名以内の幹事で構成され、委員会での審議結果は委員長が事業所の所長に報告し、その決裁をうけるものとされている。

なお、名自において、懲戒事案は総務部勤労課が所掌することになっている。

二  争点

1  本件懲戒処分にかかる懲戒事由すなわち原告の暴行行為の有無及び処分の相当性

2  本件懲戒処分の手続の違法性の有無

3  本件懲戒処分の不法行為該当性

三  争点に関する原告の主張

1  争点1について

(一) 発令書に記載の原告の行為、すなわち昭和五九年八月七日八時頃、伊藤副作業長を一五工場小椋班休憩所付近で床面に倒したという暴行行為(以下「伊藤に対する暴行行為又は暴行事件」という)及び前日の八月六日一五時頃に安全福祉課山田主任へ暴行を加えた行為(以下「山田に対する暴行行為又は暴行事件」という)は、いずれも後記のとおり事実無根であって被告によって捏ち上げられたものであるところ、発令書には、原告の前記各行為が就業規則七二条五号「正当な理由なしに業務命令若しくは上司の指示に反抗し、または職場の秩序を乱したとき」及び六号「他人に暴行脅迫を加え、またはその業務を妨げたとき」に該当するとされているが、五号に該当する事実は記載されておらず、六号に該当する事実は右のとおり捏造であって存しないことから、本件懲戒処分は就業規則上の根拠を欠いたもので違法である。

(二) 本件暴行事件発生の経緯

(1) 労働災害による原告の負傷

〈1〉 原告は、昭和五九年八月六日一四時三〇分ころ、被告名自大江工作部ボデー課フロアー溶組班作業場の別紙図面一(第15工場アンダーボディーライン見取図)の〈×〉地点において、海外現地工場向のサイドシールアッセンブリーを製作していた。

〈2〉 原告は製品を仮置きしていた台車がいっぱいになったため、部品搬送用の二二号パレット(以下「本件パレット」という)に乗せ替えるべく準備に取り掛かった。原告は作業場が狭く製品を乗せ替えるのに不便だったため、二段積みにされていたパレットを移動させようとして、上段パレットにパイプを差し込んで手前に引き寄せた。その時突然上段のパレットが外れ、パレットの脚の部分が原告の右足の足背部に落ちてきて、パレットの脚とコンクリート製床面との間に右足がはさまれた。原告はとっさに、上段パレットのパイプを前方に押し、右足を引き抜いたが、しばらくは激痛のためその場にうずくまっていた。それから気を取り直して、安全靴と靴下を脱いで足を検分してみたところ、右足背部が赤く腫れ上がり、ズキズキした痛みを覚えた。再び靴下と安全靴を履いてみたが、まともに歩ける状況ではなく、医者に見て貰おうと判断した。

(2) 原告の負傷の報告と被告の対応

〈1〉 原告は所属作業長である小椋勇(以下「小椋」又は「小椋作業長」という)へ負傷したことを連絡してもらおうと思い、原告の最も近く(別紙図面〈1〉地点)で作業をしていた同僚に負傷した旨の報告をした。しかし仕事に追われていた同人が小椋への連絡を拒んだため、原告は負傷した右足の痛みを我慢してフロアー溶組班休憩所まで歩いて行き(別紙図面一〈2〉地点)、同所に居た小椋に直接負傷の状況を報告、説明するとともに、医師による治療を申し出た。

〈2〉 ところが小椋は原告の負傷した足を調べることもなく、原告からの医師による治療の申し出に対して、「それよりも現場確認の方が先だ」と、負傷している原告に小椋と共に負傷現場まで行くよう命じた。原告は足の痛みを訴え先に通院させてくれるように頼んだが、小椋は聞き入れようとせず、原告を負傷現場へ連れて行った(別紙図面一〈3〉地点)。

〈3〉 負傷現場で小椋は原告が負傷したパレットの足の部分と床面との間に約三〇ミリメートルの隙間があるのを見ただけで、「地面にパレットがついていないのでお前の怪我はたいしたことはない」などと断言した。そして小椋は原告に対し、「パレットがはずれたままなので、元の状態に直せ」と命じた。原告は足が痛くてとてもできそうになかったので断り、再度医師の治療を申し出たが、小椋は取り合おうとせず、近くに居たフォークリフトの運転手に命じて負傷現場を片付けさせてしまい、通院を希望する原告を休憩所に連れ戻した(別紙図面一〈4〉地点)。

〈4〉 原告は休憩所に戻った時点で通院が許可されるものと思っていたが、小椋からは通院を認めようとする様子も見受けられないし、足の痛みも相変わらずひどいので、再び医者による治療を小椋に頼んだところ、初めて小椋は原告に靴下を脱いで右足を見せるように命じた。小椋は、赤くはれあがっている原告の負傷部分を指で触ったが、原告が痛みを訴えているにもかかわらず、「これはたいしたことはない。医者へなんか行く必要ない。氷ででも冷やしとけ」と言い、原告の通院を認めようとしなかった。

〈5〉 原告は小椋があくまで通院を認めようとしなかったので、とりあえずの措置として、氷で冷やすよりも作業班毎に常備されている救急箱の中に湿布薬があるだろうと思い、小椋に湿布薬がないかと聞いた。ところが小椋は、救急箱を調べようともせず、「ない」と答え、応急の医薬品の手配さえしようとしなかった。

そして「氷で冷やしておけば同じことだ。山下、氷をとってこい」と原告に命じた。

〈6〉 そこへ原告の所属副作業長である伊藤努(以下「伊藤」又は「伊藤副作業長」という)が突然入ってきた。小椋から原告が怪我をしたことを聞いた伊藤は「お前またやったのか。これで何回目だ」などと原告をからかった。原告が小椋に対し、足が痛いので氷を取りに行けないと答えると、小椋は伊藤に氷を取ってくるように指示した。伊藤がビニール袋に入れた氷をもってきたので、原告がその氷で患部を冷やしていたところ、小椋と伊藤は負傷した原告を放置したまま、休憩所から出て行ってしまった。

〈7〉 原告は患部を氷で冷やし続けていたが、足の痛みはいっこうに治らなかった。しばらくして小椋が戻ってきた。原告はまた医師による治療を申し出た。原告の申し出をうけた小椋はそれまでとはうってかわり、「よしわかった」と言って、行先欄に「診療所」と記した通門証を原告に手渡そうとした。

(3) 原告が名南病院への通院を希望した理由とその後の被告の対応

〈1〉 原告は、昭和五九年六月ころ、職務であるスポット溶接作業の際に発生する火花が目に入るという労働災害(以下「労災」という)を受けたことがあった。

その際原告は被告の親会社である三菱重工業株式会社の経営する三菱名古屋病院(以下「三菱病院」という)で受診し、「角膜火傷」との診断を受けた。ところが、後日になって被告から「三菱病院の医師は「角膜火傷」ではなく「出血性角結膜炎」又は「感染性角結膜炎」だと言っているから労災とは認めない」との通告を受け、労災とはならなかった。

〈2〉 また原告は、昭和五六年夏ころ、当時従事していた作業に起因する「有機溶剤中毒症」という職業病に罹患したことがあった。原告はその際、三菱病院大江診療所(以下「大江診療所」という)の診察を受けた。右診療所の医師は診察の結果、当初は「シンナー中毒の症状」だと診断していた。ところが原告が翌日再び大江診療所へ行くと同じ医師が「昨日現場へ行ったが、あの現場ではシンナー中毒にはならない」などと説明が変わっていた。また原告は同じ病気で三菱病院の診察も受けたが、「心臓肥大」「胃が悪い」「血液が濃い」「シンナー中毒ではない」などと医師に言われた。

ところが、症状が良くならないので名古屋市立東市民病院の診察を受けてみると、有機溶剤・キシレンの暴露による「有機溶剤中毒症」という、三菱病院や大江診療所の診断とは全く異なる診断を受けたことがあった。しかもこの頃、被告の産業医である浅井某は、原告の東市民病院における主治医に対し、「山下は有機溶剤中毒ではない。貴方が有機溶剤中毒だとする根拠は何か」などと電話で診断内容にまで圧力を加えてきたことがあった。

なお原告の「有機溶剤中毒症」について、名古屋南労働基準監督署(以下「南労基署」という)による調査の結果、被告の作業環境の不備に対して行政指導が行われる(指導票の交付一一六項目)とともに、昭和五七年四月労災と認定された。

〈3〉 原告は右のような経験から三菱病院や大江診療所に対し、強い不信感を抱いていた。そこで原告は、被告との関係がない病院の中で被告に最も近く、さらに原告の住居にも近いので以前から私病で何度か通院したことのある病院として救急指定病院・労災指定病院でもある医療法人名南会名南病院(以下「名南病院」という)で治療したい旨、小椋に申し出た。

〈4〉 大江診療所ではなく名南病院へ行きたいという原告の申し出に対し、小椋は大江診療所以外は行かせないと言うのみで、その理由を全く明らかにしなかった。原告が大江診療所以外では治療できない理由を聞くと、小椋はどこかへ電話して原告が名南病院での治療を希望している旨の報告をした。そして小椋は原告に休憩所で待機しているよう命じた。原告が休憩所で待機しているとボデー課安全主事阪野(以下「阪野」という)が来た。同人は安全主事として通常行うべき災害発生状況や怪我の程度の調査などを一切行わず、原告に対し大江診療所へ行くよう命令するのみであった。

〈5〉 そこへ名自総務部安全福祉課主任山田秀樹(以下「山田」又は「山田主任」という)、ボデー課長山内烈(以下「山内」又は「山内課長」という)、ボデー課溶接係長磯部宰孝(以下「磯部」又は「磯部係長」という)の三人が一緒に休憩所に現われた。山田らは、阪野と同様に原告の負傷状況を見分することもなく、ただ大江診療所以外では治療させられないと言うのみであった。このため原告は山田らに対し、三菱病院や大江診療所に不信感をもっていることを明らかにした上で、改めて大江診療所以外では治療できない理由を聞いたところ、山田らは「会社には会社のルールがある。会社の言う通りにしろ」とか「とにかく診療所へ行け」などと原告を脅し付けるのみで原告の質問には全く答えようとしなかった。

(4) 山田に対する暴行事件の発生

山田に対する暴行行為は、事実の捏造であって存在しない。

〈1〉 山田をはじめ、山内、磯部、阪野、小椋、伊藤らは別紙図面一中の「休憩所詳細図」の通り、机を挟んで原告一人を取り囲み、大江診療所以外には行かせまいと口々に原告に向かって威圧を加えた。そうした状況の中で原告は労働安全衛生法の精神は医師選択の自由を認めている旨主張し、山田に同意を求めたところ、同人は肯定した。そこで原告が改めて名南病院での治療を要望したところ、山内が「山下とにかく診療所へ行け」と怒鳴った。原告が山内に抗議すると、突然山田が「うるさい静かにしろ」と大声で怒鳴りテーブルを叩いた。それを見て原告は、テーブルを叩いた山田の手を制止し、山内との話の邪摩をしないよう山田をたしなめると、急に山田は「貴方は暴行を振るう気か」と言い出した。原告は一瞬呆気にとられたが、「あんたの方こそ希望する病院へ行かせないのは精神的暴行だ」と抗議した。

〈2〉 原告は、このままではとても名南病院へ行かせてもらえないと考え、労働基準監督署の判断を仰ごうと山田に対し南労基署に連絡するよう求めた。山田が拒否したので、原告は自分で聞いてみようと、山田に南労基署の電話番号を尋ねたが、山田は電話番号を原告に教えることさえ拒んだ。そこで原告が「山田さん教えてよ」と山田の下腕部に触れたところ、山田は「また暴行するのか」と言い出した。そのため原告は南労基署への連絡を諦めざるを得なかった。その後山田は原告に対し、名南病院へは行かせられないから休憩所で座っているように指示し、負傷した原告を休憩所に放置したまま、山内、磯部と共に休憩所から出て行ってしまった。結局原告は当日の就業時間中には医師の治療を受けることができなかった。

〈3〉 ところで原告は一二年前、被告の関連会社である菱和車体株式会社に応援派遣されていた時、職業病の一種である「頚肩腕症候群」に罹患し、約六か月間休業したことがあった。それ以来現在も原告の腕や肩には痺れや痛み、冷たくなるなどの症状が断続的に続いており、握力も低下している。

(5) 名南病院での診断の結果

負傷した当日、原告は一時間三〇分の残業を予定していたが、残業をやめて名南病院へ行った。同病院でレントゲンを撮ったところ、さいわいにも骨には異常がなかった。診察の結果は「右足挫症」と診断され、患部への湿布と投薬を続けた。その後、原告は八月六日から一〇日まで毎日、その後、一五日、九月三日と通院した。

(6) 伊藤に対する暴行事件の発生

伊藤に対する暴行行為も事実の捏造であって存在しない。

〈1〉 翌八月七日原告は右足負傷部に包帯をしていたため、日常通勤に使用する靴が履けず、草履を履いて出勤した。出勤後原告は、別紙図面二「第一五工場アンダーボディーライン及びロッカー室見取図」の〈1〉地点のロッカー室で作業服に着替え、安全靴を履こうと試みたが無理だったので、草履を履いたまま作業現場に赴いた。

〈2〉 被告では始業時より体操を行うことになっているが、原告は右足負傷で体操ができなかったので別紙図面二〈2〉地点で待機し、その後の朝礼に同地点において参加した。朝礼時に原告は所属作業班のリーダー格である藤本登美夫に、包帯を巻いているため安全靴が履けない旨の報告をしたところ、同人は納得した。

〈3〉 朝礼終了後原告は保護具類を着用しようと、別紙図面二〈3〉地点の私物箱の所へ行った。そこへ小椋が来て、「山下お前スリッパを履いとるが仕事をやる気があるのか」と詰問してきた。原告はもちろん仕事をする意思があることを伝えるとともに、安全靴を履こうとしたが包帯をしているので履けなかった旨説明した。説明を聞いた小椋は原告に対し、負傷していない左足だけ安全靴に履き替えるように命じた。

〈4〉 ところで、傷病などにより安全靴が着用できない場合、被告では「脱靴証明」を必要としている。しかし、被告は、脱靴手続について一般社員に周知しておらず、原告は当時このことを知らなかった。被告の職場の実態としては、脱靴を必要とする者が出た場合、所属長が「脱靴証明」の申請手続などを教示するのが常識である。ところが小椋は原告の片足に安全靴を履かせようとするのみで、「脱靴証明」の申請手続について何も原告に教示しなかった。

〈5〉 原告は片足だけ安全靴を履けという小椋の意図を疑ったが、それでも命令に従い、ロッカー室(別紙図面二〈4〉地点)で左足だけ安全靴に履き替えた。原告は作業現場に戻ろうと別紙図面二〈5〉地点まで行ったが、歩きづらい上に負傷している足も痛むので、これではかえって作業がしにくいと考え、再びロッカー室に戻り(別紙図面二〈6〉地点)草履に履き替えた。そして安全靴を持って私物箱の所(別紙図面二〈7〉地点)まで戻った。原告が草履履きのままであることを現認した小椋が「お前、安全靴を履いてないやないか」と再び詰問したので、原告は草履履きのままで戻ってきた経緯を説明した。そこへ伊藤が来て小椋に事情を聞くや、「何だ山下お前また仕事をサボる気か」と原告を怒鳴りつけた。

〈6〉 原告には仕事をサボる気など全くなかった。安全靴が履けない事情を小椋が正確に伝えないので伊藤が誤解していると考えた原告は、経緯をきちんと説明しようと思い、立ち去ろうとする伊藤の左腕をとって、「ちょっと待ってよ」と呼び止めた。すると同人は、自分から後ろ向きに転び、「痛い、痛い、暴行を受けた。暴力集団だ」と大声で叫び、床面に寝転んだまま手足をバタバタさせていた。なお、この時の原告、伊藤、小椋の位置及び伊藤の転んだ場所は別紙図面二中の「私物箱前詳細」に記載の通りである。

〈7〉 驚いた原告は、伊藤に対し「バカヤロウ、俺を罠にかけるつもりか、いい加減にしろ」と言った。すると同人は立ち上がり、側に居た小椋に向かって、原告を懲戒委員会にかけたいので証人になってくれと頼んだ。小椋は即座に「もちろんなったる」と呼応した。そして、身体の痛みを訴え大江診療所への通院を申し出た伊藤に対し、小椋は大江診療所へ行くよう指示した。

〈8〉 ところで伊藤は、「暴行を受けて身体が痛い」「(大江)診療所へ行きたい」「山下を懲戒委員会にかける」と大騒ぎしたがその後同人が治療のために通院した様子は見受けられない。しかも同人は、その後数日に渡って原告の仕事を代替したのであるが、原告の仕事は手や腕をさかんに使う仕事である。また同人は若いころ社内のラグビー部に所属していたことがあり、身体は頑健な方である。

〈9〉 その後、原告の同僚である井澤博(以下「井澤」という)が、事態を心配して伊藤に様子を尋ねたところ、同人は自分から転んだことを認めている。更に同人は井澤に対し「山下は素直じゃないから俺は大嫌いだ」などと語っていた。

また、井澤が現場を目撃していた小椋に、原告が本当に伊藤に暴行したかどうかを尋ねたところ、同人は「山下が触ったのは事実だが、あとはなあ……」と語り、伊藤が転んだことを暗に認めていた。

(三) 懲戒権の濫用

右のとおり、本件懲戒処分はその事実の基礎を欠くものであるが、被告が右のように本件暴行事件を捏造したうえ懲戒処分に付したのは、被告の労災隠しの体質とその意を受けた中間管理職の労災隠しの策動を許そうとしなかった原告の言動を嫌悪し、報復のためにしたものであって、本件懲戒処分は政治的処分であり、被告には正当に行使すべき懲戒権を濫用した違法がある。

(1) すなわち、原告の前記労災の報告を受けた上司の小椋作業長は当初医者に行くこと自体を妨害し、原告がさらに強く医者に行くことを許可するよう求めると、原告の希望する名南病院に行かせまいとして、大江工場内の大江診療所に行くよう強硬に指示した。大江診療所は被告経営にかかるもので、前記のとおり原告が昭和五五年夏以降労災たる有機溶剤中毒に罹患した時及び昭和五九年六月に労災たる角膜火傷を負ったとき、いずれも被告会社の労災隠しに同調した事実があり、小椋があくまで大江診療所に行くことを指示したのは同人が労災隠しを意図したものと考えざるを得ない。

(2) 次に、前記のとおり、八月七日朝、小椋が原告に対して「お前スリッパをはいたままじゃないか」と述べたこと、伊藤が「何だ山下また仕事をサボる気か」と述べたこと等の言動は、原告が被告の労災隠しに同調しないためになされた嫌がらせないし精神的圧迫行為である。

(3) なお、原告の上司がこのように執拗に労災隠しをしようとしたのは、もともと被告が労災隠しの体質を持っていた上、特に昭和五九年五月から八月の期間中は無災害記録のオリンピック期間中であり、各職場の責任者が労災隠しに通常の時以上に狂奔する背景があったからである。原告は、小椋作業長の率いる小椋チームに属するものであり、原告の八月六日の負傷についてはその後労災認定を受けたのに、被告はその間無災害であったとの扱いをしている。

以上のとおり、本件懲戒処分はその前提たる事実を欠くものであるとともに、懲戒権の濫用に基づくものであるから違法であって無効である。

2  争点2について

(一) 本件懲戒処分は、被告名自懲戒委員会の審議の結果に基づいて名自所長の決裁を経て発令されたものであるが、同懲戒委員会は原告に対し、以下のとおり懲戒事由の告知とそれに対する原告の弁明、聴問、防御のための証拠提出の機会を与えないまま結論を出したものであって、適正手続に反する違法がある。

(二)(1) 昭和五九年八月三〇日、原告は小椋から一緒に勤労課へ行くよう指示された。原告は何のための呼出しかを小椋に尋ねたが、同人は理由を明らかにしなかった。勤労課へ行くと磯部係長がおり、同人は会議室で待つよう指示した。原告が磯部とともに会議室で待っていると、小椋が勤労課長河添克彦(以下「河添」又は「河添勤労課長」という)及び同課人事係長長岡正己(以下「長岡」又は「長岡人事係長」という)を連れてきた。

(2) 河添は原告に対し、「八月六日と七日の件について聞きたい」と言った。そこで原告は八月六日に負傷した状況、名南病院での治療を希望したが山田主任をはじめとする大勢の職制に取り囲まれて妨害された事実、八月七日安全靴を履けなかった事情などを説明した。すると河添は、山田及び伊藤に暴行した状況を説明しろと言い出した。原告は暴行の存在を既定の事実にしてしまっている河添の質問に驚いたが、山田や伊藤の主張を一方的に聞かされている結果だと判断した。

そこで、原告は、山田の件については、山田が怒鳴りながらテーブルを叩くので、これを原告が制止したこと、南労基署の電話番号を教えてもらおうと原告が山田の左下腕部を触っただけであること、伊藤の件については、原告が呼び止めたところ伊藤が自ら転んだことなどありのままに述べ、暴行など決してやっていない旨答えた。ところが河添は、原告の主張を頭から信用せずまじめに聞こうともしなかった。それどころか、山田や伊藤の主張を一方的に真実として取り上げ、原告にそれを認めさせようとする態度に終始していた。そしてついには、「山田さんのどの部分を叩いたのか白状しなさい」と言い出すなど勤労課の事情聴取は一方的で不公平極まりないものであった。

(3) 原告は九月二五日組合支部の委員長新美道雄(以下「新美委員長」という)、書記長井藤隆俊(以下「井藤書記長」という)、執行委員尼子秀美(以下「尼子執行委員」という)から八月六日及び七日の件について事情聴取を受けた。そこで初めて原告は八月六日及び七日の件が懲戒委員会にかけられていることを知った。組合支部による原告に対する事情聴取も山田及び伊藤の主張を前提にしたものであり、原告が暴行は捏造であることを主張すると、井藤書記長は「あなたは人と話す時に触る癖でもあるのですか」などと冷やかすなどして原告の弁明をまともに取り上げようとはしなかった。しかもこの事情聴取はわずか三〇分足らずで打ち切られてしまった。

(4) 原告は、事実と反することをもとにして懲戒委員会の審議が進められていることを知り、翌九月二六日再び組合支部を訪れた。そして組合支部側懲戒委員でもある井藤書記長及び尼子執行委員に対し、審議の公正を期すために、懲戒の対象とされている原告の行為や懲戒の具体的根拠など、現在提案されている懲戒処分案の内容を明示した上で、原告に弁明・防禦の機会を与えるよう要請した。しかし井藤書記長及び尼子執行委員は、原告の行為が就業規則七二条五号及び六号に該当することを示唆した以外は、審議中であることを理由に原告の要請を拒絶した。

(5) 原告は、組合側懲戒委員が事実と反することを鵜呑みにしており、事情聴取も前述のとおり原告の弁明をまともに聞こうとしないので、翌九月二七日始業前、暴行した事実がないこと、懲戒事由を具体的に明示した上で弁明・防禦の機会を与えて欲しいことなどを記述した申入書を所属長経由で懲戒委員会宛に送付しようとした。ところが山内課長は、会社側懲戒委員でもある河添勤労課長と電話で相談した上で、河添の意思として申入書の受取を拒否した。原告は懲戒委員会宛の申入書を河添の個人的判断で受け取らないのは越権行為だと思ったが、やむなく、申入書を内容証明郵便で懲戒委員会宛に送付した。

(6) 前記申入書は翌九月二八日に総務部長端山晴彦気付懲戒委員会に配達されたが、九月二七日午後五時ころから開催された同委員会の審議には間に合わなかった。これは所属長が申入書の受取を拒否したことが原因であった。なお、同日の懲戒委員会が減給一等の処分案で所長に答申する決定を下したことについては、原告が一〇月一日組合支部を訪れて、右内容を質した結果分ったものである。

(7) 原告は一〇月六日、事業所協定中の表彰懲戒委員会規程五条二号に基づき、懲戒に関わる事実関係が捏造であることを理由に、懲戒委員会の再審議を求める申入書を所属長経由で所長宛に送付しようとした。しかし、再び所属課長が受取を拒否したので、同日、内容証明郵便で所長宛に送付した。

同日、前記懲戒委員会宛申入書の回答が、懲戒委員会田代堯から原告宛に内容証明郵便で送達された。その要旨は「あらためて懲戒委員会として貴殿から申立て聴取を行うことは不要」というものであった。

(8) 一〇月一〇日、所長宛申入書に対する回答が、後任の勤労課長出口から原告に口頭で伝えられた。その要旨は、「再審議は不要と考える」というものであった。なお両回答共に原告が求めた懲戒事由の具体的明示については触れていない。一〇月一五日、原告は大江工作部長山下道生から減給一等に処する旨の告知を受けた。原告はその場で右山下に対し、事実無根の不当な懲戒であると抗議した。

(9) 本件懲戒処分の審議が行われる前から、原告は山田及び伊藤に対する暴行事件が事実の捏造であることを主張し、懲戒事由の告知とそれに対する弁明・防禦の機会を原告に与えるよう繰り返し要求していた。にもかかわらず被告及び懲戒委員会は、原告にその機会を与えないばかりか懲戒事由の告知すら行わず懲戒処分の結論を出しており、事案の処分に先立って当事者の弁明を得る適正手続に反することは明白であり、それ自体が手続的に違法行為であるというべきであるし、原告に弁明の機会も与えずになされた懲戒処分については名自表彰懲戒委員会規程五条二項の再審議を要すべき場合に当るというべきであるから、名自所長としては、原告から再審議の申入れを受けた以上本件懲戒処分を懲戒委員会の再審議に付すべきであったのに、再審議に付さなかったことも適正手続に反し手続的に違法無効である。

(10) よって、原告は被告との間で、本件懲戒処分が無効であることの確認を求める。

3  争点3について

原告は、右のとおりの違法な本件懲戒処分により対外的及び同僚間における信用を著しく害され、精神的にも大きな打撃を蒙った。これは不法行為に該当し、右精神的打撃等を金銭に見積もると金三〇〇万円が相当である。

よって、原告は被告に対し、右金員及びこれに対する不法行為の日である本件懲戒処分がなされた昭和五九年一〇月一二日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

四  争点に関する被告の主張

1  争点1について

本件懲戒処分の原因たる原告の暴行行為及びその経緯は以下のとおりである。

(一) 山田に対する暴行行為

(1) 原告の受傷にかかる状況

〈1〉 昭和五九年八月六日一四時一〇分ころ、原告の勤務する大江工場大江工作部ボデー課フロアー溶組班作業場の別紙図面三「一五工場アンダーボデーラインレイアウト」中のA地点において作業状況を点検していた原告の所属作業長である小椋のところへ、原告が歩いてきて足を打った旨の申し出を行った。

〈2〉 小椋は、原告から右足の甲の部分を安全靴の上からパレットで打った旨の事情を確認した後、原告とともに原告の作業場である別紙図面三のB地点へ行き、同所で原告から二段積みの部品搬送用の本件パレットを原告が移動させようとした際にパレット上段がはずれ、右足の上にパレットの脚の部分が当たった旨説明を受けた。原告が足を打ったパレットの脚の部分との間には五〇ミリメートルほどの間隔があり、小椋が足を入れてみたところ難なく入った。

〈3〉 また小椋は、その際原告が申し出た右足の受傷部分を見分したが、若干赤くなっているかなという程度であり、足の指を曲げさせてみても異常はなく、原告は何ら痛みを訴えることはなかった。この後、原告が脱いでいた靴下を履きかけたときに急に痛みを訴えたため、小椋は休憩所で休むように指示し、原告とともに別紙図面三のC地点に示すフロアー溶組班休憩所へ移動した。同所に小椋及び原告が着いた際に、原告が湿布薬がないかと尋ねたため、小椋が置いてない旨答えたところ、原告は再度痛みを訴えた。小椋はその場に来合わせた右班の伊藤副作業長に状況を説明し、患部を冷やすため氷を取ってくるよう指示したうえ、上司に報告のため同所を離れた。

(2) 所属長による大江診療所での受診指示状況

〈1〉 小椋がサイドストラクチャー(側骨格)溶接組立作業場付近で上司の磯部係長に報告を行った後、休憩所に戻ると、原告は安全靴を脱ぎ、ビニール袋に入れた氷で冷やしていたが、小椋に対し医者へ行かせてほしい旨申し出た。

〈2〉 ところで、被告は大江工場における労災事故等発生時の応急処置等について「救急業務実施要領」(以下「実施要領」という)を制定し、救急病院を指定し、搬送方法を定めるなど災害発生の場合に速やかに受傷者に対し適切な処置を採ることにしており、また右救急病院として、大江診療所、山口外科、中京病院及び三菱病院が指定されており、その必要があれば負傷の程度、災害発生の時間帯により、その都度適宜病院等を定めて受傷者を搬送したり受診に赴かせるようにしている。

〈3〉 原告から前記申し出を受けた小椋は、前記被告の実施要領に則り、原告の受傷の程度から、とりあえず大江工場に隣接する大江診療所(同工場から約四五〇メートルの距離)で受診させようと判断し、受診のための外出に必要な「通門証」の行先欄に「診療所」と記入して原告に交付しようとしたところ、原告は右診療所ではなく、名南病院(同工場から約一九〇〇メートルの距離)へ行きたい旨言い出した。

〈4〉 小椋が、原告が現に足の痛みを訴えていたことから、わざわざ遠方の名南病院へ行くよりも、取り敢えず被告の実施要領にも指定されている最寄りの大江診療所で受診し、応急の処置を受けるよう重ねて指示したが、原告は、同診療所は信用ならない、どこの病院へ行ってもよいはずだなどと言い、小椋の指示に従おうとしなかった。

〈5〉 小椋と原告が前記やりとりをしているところへ、右磯部と同人から報告を受けた山内課長が出向いてきて、原告の足の状態を見分した後、山内からも会社の労災発生時の応急処理体制について説明し、この場合右診療所で受診するよう原告に対し改めて指示したが、原告は小椋に対するのと同様の主張を述べるのみで聞き入れようとしなかった。このため山内は、磯部に電話で名自の専任安全管理者である山田主任に対し、状況報告を行わしめたところ、同人は上司の安全福祉課長田中成幸(以下「田中」又は「田中安全福祉課長」という)に報告したうえ、直ちに休憩所へ赴いた。

(3) 山田主任の指示及び同主任に対する原告の暴行行為

〈1〉 休憩所に着いた山田は原告に対し、会社の近隣に大江診療所が設置されている理由や、災害発生時の救急処理体制の考え方について説明し、怪我をしているのだから近くの大江診療所へ行き、取り敢えず医師の診断を受けるよう指示したが、原告は時にはテーブルを叩きながら大声を張り上げて自己の主張を繰り返すのみで、そのうち、休憩所の机の角を挟んで原告と向かい合っていた山田の左手首をいきなり強く掴んで前後に振る行為に及んだが、山田から注意されてようやく手を離した。

〈2〉 そして間もなく大江診療所の診療終了時間である一五時三〇分ころとなったため、山田は原告に対し、右診療所開設時間外の災害発生時に直ちに受診できるよう会社が依頼し、その実績もある前記山口外科へ行って受診するよう指示したが、原告はこれもまた拒否し続けた。

〈3〉 原告はこの後、休憩所奥の電話のところへ行ったが、相手の電話番号が分からなかったためか大声をあげながら戻ってきてこぶしで机を叩いた。

〈4〉 これに対し、山田が立っている原告と向合った状態で、静かにするように注意したところ、原告はいきなり山田の左上腕部を強く鷲掴みにして押し、このため山田は身体がよろけ、上半身がねじれる形となったが、「なぜ暴行を振るうのだ」と声を上げて強く抗議し、また同所に居合せた山内もやめろと声をかけたので、原告は手を離した。

〈5〉 山田は前記のとおり強く鷲掴みにされた左上腕部に青あざができ、その後も痛みがいぜんとして消えないため、八月一〇日右診療所で受診した。診断の結果は「左上腕挫傷、左上腕前上部に皮下出血硬結を認め圧痛あり、今后一週間通院加療を必要と認む」との診断であり、患部への湿布及び内服薬の投与を受けた。

(二) 伊藤に対する暴行行為

(1) 被告では、構内においては全員靴を着用することに規定されており、技能職群、監督職群の者及び日常の業務遂行上常時現場立入りを要する者に対しては、安全靴が支給され、この支給を受けた社員は構内においては必ず安全靴を着用することと規定されており、傷病のため特に脱靴が必要な場合は脱靴証明申請書に医師の証明を得て会社に提出することとなっている。

(2) 原告が山田に対し前記暴行行為を行った日の翌八月七日、始業時の安全体操を小椋他の班員が別紙図面三D地点付近で行っていた時、原告は草履履きで出勤してきた。

(3) 安全体操及びその後の朝札終了後、小椋は伊藤とともに休憩所で原告に理由を質したところ、原告は右足に包帯をしているので安全靴を履けない旨答えたが、前記脱靴証明申請書若しくはこれに代わる診断書を持参していなかった。小椋は現場にいる以上、安全靴を履いていないと安全管理上不具合であるから、左足だけでも安全靴を履かせるべきと判断し、そのように指示した。

(4) 原告は右指示に従ってロッカーから安全靴を持って休憩所に帰ってきたものの、何を思ったのか安全靴を休憩所の椅子に叩き付けた後、それを拾い上げ左足だけ安全靴に履き代えた。これを見て小椋は休憩所を離れた。

(5) その少し後に現場の作業状況確認から戻ってきた伊藤が見たところ、原告が再び安全靴を履いていないのを認め、職場のルール、安全上からも左足だけは履くように原告に指示したところ、原告がこれに従ったので、伊藤は、当日原告が担当すべきナット付け作業を自分が替って行うための段取りをしに作業場へ向かった。

(6) 伊藤が段取りを終え、再度休憩所へ戻った時、小椋と原告とが休憩所の椅子に座って話をしていた。伊藤は休憩所奥で原告に当日行わせるテーキン台帳整理の準備をした後、ナット付け作業にかかるため現場に向かうべく原告の後ろを通り抜けようとした。このとき、伊藤は、原告が小椋に対し、伊藤から通常の作業をするよう命じられたと抗議しているのを耳にしたため、原告に対しそのような指示はしていないと言い残して作業場に向かった。

(7) ところが、原告は伊藤を追いかけ、別紙図面三E地点において同人を呼び止め、振り向いた同人の作業着を右手でいきなり掴んで突き倒した。このため、伊藤はコンクリートの床面で左腕のひじから肩にかけての部分を強く打った。

(8) その後、伊藤は打った部分に痛みを感じていたが、大げさにはしたくなかったこともあり、前記診療所に行って診断を受けることなく、そのまま作業を行った。当日帰宅後、伊藤が見たところ、ひじの辺りが赤くなっており、腕の痛みは一週間ほど残った。

以上のとおり、本件懲戒処分は、その基礎となる事実が存するもので有効である。

2  争点2について

(一) 本件懲戒手続

(1) 山内課長及び田中安全福祉課長から原告の暴行行為及びその後の原告の状況につき報告を受けた河添勤労課長は、同課の長岡人事係長とともに原告をはじめ関係者から事情聴取を行った。

(2) 右事情聴取において、原告は山田及び伊藤に対し触ったことはあるが暴行はしていないと弁解した。しかしながら、山田、伊藤及びその外関係者からの事情聴取によれば、前記のとおりの事実が認められたので、勤労課としては、就業規則七二条一項五号及び六号に該当する行為と判断し、職場秩序維持の観点からも会社として放置し得ないことから、懲戒委員会を開いて原告の行為につき懲戒処分をなすべきか否か等を審議することとし、昭和五九年九月二四日、所定の手続を経て、本件に係る懲戒委員会が開催されるに至った。

(3) 右懲戒委員会においては、事実経過、原告の弁明及びその後の状況につき検討がなされた後、出席委員中組合支部側委員より、組合としても独自に事実調査を行いたいので、暫く時間が欲しい旨の申し出がなされ、委員長がこれを了承して、次回開催を九月二七日とすることを決めて、同委員会を休会とした。

(4) そして、同月二七日、同委員会が再開され、組合支部側委員より原告をはじめ関係者に組合支部として独自に調査した結果、組合としても八月六日及び八月七日の原告の行為は暴行行為であったと判断せざるを得ない旨報告がなされた後、原告に対する処分案の審議が行われた。審議では、出勤停止一日の処分とする意見と、更に情状酌量して減給相当とする意見とに別れたが、結局、委員会としては原告に対する懲戒処分は今回が初めてであること、被害者の怪我も幸い軽微であること、原告がかかる行為に及んだのは怪我により精神的に不安定であったからとも考えられること等を勘案して、減給一等の処分案で所長答申とすることを決した。

(5) 一〇月一一日、懲戒委員会の審議結果が所長宛に報告されるとともに、決裁手続が進められ、この結果、同所長は翌一二日に同委員会の答申どおりの処分とすることを決し、同月一五日、原告の所属長である山下道生大江工作部長を通じ、原告に懲戒処分として減給一等に処する旨告知するとともに、同月一九日払いの原告の給与より、原告の平均賃金一日分の五〇パーセントに当る金二七三八円の控除を行った。

(6) なお、九月二八日、原告から名自懲戒委員会宛に暴行の事実を否定するとともに、防禦の機会を与えること等を求めた申入書が送達されたが、今回の懲戒委員会の審議は原告の弁明も聞き、関係者からも慎重に事情聴取を行ったうえで、適正に行われており、改めて懲戒委員会として事情聴取を行うことは不要と判断されたので、一〇月八日、表彰懲戒委員長名にて、その旨原告宛に回答した。右回答の文書発信後、同日原告より所長宛に懲戒委員会の再審議を求める申入書が送達されたが、同月一〇日、勤労課長山口から原告に対し、再審議は不要と考えている旨説明を行った。

(二) 以上のとおり、被告は本件懲戒処分の手続について就業規則、労働協約等に則って適法になしており、しかもその処分の程度も相当である。よって、右処分が手続的にも有効であることは明白である。

3  争点3について

以上のとおり本件懲戒処分は実体的にも手続的にも有効であるから、本件懲戒処分が原告に対する不法行為を構成しないことは明らかである。

第三争点に対する判断

(一)  争点1について

1  まず、昭和五九年八月六日(以下、特に記載のない限り年度については昭和五九年のことをいう)の山田に対する暴行行為の有無について判断する。

(一) 成立に争いのない(証拠略)及び原告本人尋問の結果(但し後記信用できない部分を除く)並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(1) 八月六日午後二時過ぎごろ、原告はボデー課のフロアー溶組班の作業場の別紙図面一の〈×〉地点において、部品搬送用のパレットを、作業の必要から移動させようとし、二段積みになっていた上下のパレットの間にパイプを差込んで手前に引っ張ったところ、上段のパレットの脚の一部が下段のパレットにきちんと乗せられていなかったことから、引っ張ったはずみで上段のパレットが下段のパレットからはずれ、上段のパレットが原告の右足の足背部に落下したため、原告は右足挫傷の傷害を負った(以下「本件労災事故」ともいう)。

原告は附近にいた同僚に、原告が怪我をした旨上司に連絡してもらおうとしたが、断られたため、自ら上司である小椋作業長に連絡するため歩き出した。

(2) 小椋はそのころ、フロアー溶組班の作業場の別紙図面三のA地点において、同班のライン作業の状況を巡視監督しており、原告は右小椋がいた場所まで歩いていき、小椋に対して原告が怪我をした旨の報告をした。

右報告を受けた小椋は、事情を詳しく説明するよう原告に求めたところ、原告は前記事故現場に小椋とともに向い、事故の状況について説明した。

その際、小椋は原告の右足の負傷状況について確認したが、小椋の目からみて原告の右足の甲が赤くはれている程度であり、それまでの原告の歩行状況も特に異常がなく、原告が痛みを訴えていなかったこと等から、原告の怪我はたいしたことはないと判断した。

(3) ところが、原告が急に痛みを訴えたため、小椋は原告をフロアー溶組班の休憩所で休ませることとし、原告ともに、右休憩所に赴いた。

原告は、右休憩所に着いた後、小椋に対して湿布薬が欲しい旨申し出たが、休憩所の救急箱に湿布薬が無かったことから、小椋は湿布薬はない旨答えるとともに、応急の措置として、氷で患部を冷やすことを考えた。

折から、伊藤副作業長が休憩所に入ってきたので、小椋は伊藤に原告の怪我の経緯を説明した上、伊藤に対して患部冷却用の氷を取ってくるよう命じるとともに、自らは原告が負傷した旨の報告を、上司である磯部係長に対して行うために一旦休憩所を離れ、右報告を済ませて休憩所に戻ってきた。

(4) 伊藤が取ってきた氷で患部を冷やしていた原告は、なおも痛みが引かないため、医者の治療を受けたい旨、戻ってきた小椋に申し出た。

右申し出を受けた小椋は、従業員が工場から外出するために必要な通門証の行先欄に「診療所」と記載し、「公傷」との記載部分に丸を付して原告に渡そうとした。

これに対し、原告は、大江診療所ではなく、名南病院に行きたいと言い出し、これに対し、小椋は大江診療所の方が工場と至近の位置にあって応急措置を行うのに適切であると考えて、再度原告に対し、大江診療所へ行って診療を受けるよう指示したが、原告は、大江診療所は信用ならない、どこの病院へ行ってもよいはずだ等と申し述べて、小椋の指示に従わず、原告と小椋の間で言い争いのような状況になった。

(5) 右のような状況になっているフロアー溶組班休憩所に、小椋から報告を受けた磯部係長及び右磯部から報告を受けた山内課長がやってきて、原告の負傷状況を確認した後、山内課長は原告に対し、名自における労災発生時の応急処理体制について説明したうえ、大江診療所へ行くよう原告に重ねて指示したが、原告は小椋に対するのと同様の対応を示し、大江診療所へ行くのを拒んだ。

なお、被告は大江工場における一般的な安全衛生管理のために「安全衛生管理要領」というマニュアルを作成して担当管理者に周知徹底するとともに、災害発生時の処理マニュアル化したものとして、「災害発生時の処理要領」を、また労災発生時の応急処理体制として、前記実施要領をそれぞれ制定しており、右実施要領の中で救急病院を指定し、搬送方法を定めるなど災害発生の場合に速やかに受傷者に対し適切な処置を採ることにしており、右救急病院として、大江診療所、山口外科、中京病院及び三菱病院が指定され、負傷の程度、災害発生の時間帯により、その都度適宜病院等を定めて受傷者を搬送し又は受診に赴かせるという体制を採っている。

(6) 原告が前記のとおり上司の指示に従わないため、山内課長は、磯部係長に命じて名自の専任安全管理者たる山田主任に対し状況報告を行わせたところ、右山田主任は同人の上司である田中安全福祉課長に報告したうえ、直ちに休憩所に赴いた。

休憩所に着いた山田は、専任安全管理者としての立場から、原告に対し、会社の近隣に大江診療所が設置されている理由や、前記災害発生時の救急処理体制の考え方について説明するとともに、原告の怪我の状況から、取り敢えず大江診療所の医師の診察を受けるよう指示したが、原告は従前とおり、診療所は信用ならない、憲法や労災保険法は医師選択の自由を認めている、専門家のくせにそんなことも知らないのか等と山田を難詰し、原告が大江診療所を信用していない理由等については説明することなく、あくまで名南病院への受診許可を求め、次第に大声を出すなど興奮ぎみになった。

(7) このような原告の申し出に対し、山田は、前記実施要領を厳格に遵守することが、救急処理の円滑な運用に必須であり、原告の負傷の程度に照らして、この程度の負傷でいちいち負傷者の希望を容れると救急処理の運用に支障を来たすと判断し、あくまで実施要領に従って原告を大江診療所で受診させるよう重ねて指示したが、原告の態度も相変わらずであり、原告と山田との間で押問答のような状態が続いた後、原告は興奮のあまり、山田の左手首を掴んで前後に振る行為に及んだ。この時は山田に注意され、原告はすぐに手を離したが、なおも原告と山田との間では押問答が続いた。

(8) そのうち、大江診療所の診療終了時間である午後三時三〇分が過ぎてしまったので、山田は前記実施要領によって救急病院に指定され、被告の従業員の労災事故にかかる負傷について即時に治療してもらえることとなっている山口外科に、原告を受診させようとして、その旨原告に指示したが、原告は、山口外科での受診も拒み、あくまで名南病院で受診させるよう要求し、さらには、医師選択の自由が保障されていることや、委員会と職制のどちらの言い分が正しいか等を労働基準監督署に確認しようとして、山田に南労基署の電話番号を教えるよう申し向けた。山田が電話番号は分らないと答えると、自ら休憩所内にあった公衆電話まで歩いて行ったが、結局電話番号が分らなかったため、受話器を叩きつけて山田と押問答をしていた場所まで戻り、興奮のため、机を叩いた。

(9) 原告の右のような行為に対して、山田が静かにしろと注意したところ、原告はいきなり、山田の左上腕部を鷲掴みにした。これに対して、山田がなぜ暴行を振るうのだと抗議し、山内課長も原告に注意したため、原告は掴んでいた手を離した。

なお、山田は原告から鷲掴みされた左上腕部に青あざができ、痛みが消えないため、右暴行の四日後である八月一〇日に大江診療所で受診し、「左上腕挫傷、左上腕前上部に皮下出血硬結を認め圧痛あり、今后一週間通院加療を必要と認む」と診断され、患部への湿布及び内服薬の投与を受けた。

(二) 以上のとおり認められ、原告の供述のうち、右認定に反する部分は後記のとおり信用できない。

2  次に八月七日の伊藤に対する暴行行為の有無について判断する。

(一) 前記各証拠、原本の存在及び成立に争いのない(書証略)並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(1) 原告は昭和五九年八月六日、山口外科で診察を受けるようにとの山田らの指示に結局従わず、当日就業終了時刻後、名南病院に出向いて診療を受けたが、レントゲン検査の結果骨には異常がなく、「右足挫傷」と診断され、患部への湿布と投薬をうけた。

(2) 翌八月七日、原告は通常どおり大江工場に出勤したが、右足の負傷部分に包帯をしていたため、靴を履くことができず草履を履いて出勤した。出勤後原告は、ロッカー室で作業服に着替え、安全靴を履こうと試みたが前記のとおり右足負傷部分に包帯をしていて安全靴を履くことも無理だったので、両足とも草履を履いたまま作業現場に赴いた。なお、被告においては、構内では全員靴を着用することとされており、また常時現場立ち入りを必要とする者は、被告から支給された安全靴を履くことが義務付けられており、安全靴を履くことができない場合には、医師の証明を付した脱靴証明申請書を提出しなければならない扱いとなっていたが、原告は当時そのような書類が必要であることを知らなかった。

(3) 被告の作業場においては、通常始業時間の最初に体操を行うことになっているが、原告は右足の負傷のため体操ができなかったので皆が体操をしている間、附近で待機し、その後行われた班の朝礼には、朝礼の内容が聞き取れる右待機場所で朝礼に参加した。

(4) 朝礼の際、原告はフロアー溶組班のリーダー格である藤本登美夫に、包帯を巻いているため安全靴が履けない旨の報告をしてその旨了解してもらったが、朝礼終了後、小椋作業長は、原告に対して安全靴を履いていない理由を質し、それに対して原告が包帯をしているため安全靴が履けない旨答えると、前記脱靴証明申請書を持参したか否かを確認した。原告は、前記のとおりそのような書類が必要であることを知らなかったため持参していなかったが、小椋作業長は、原告が右申請書を持参していないことが分ると、そのことについて特に非難することはなかった。

しかし、小椋は、作業場における安全管理上、草履履きでは不都合であり、包帯をしていない左足だけでも安全靴を履かせるべきであると判断し、その旨原告に指示した。

なお、小椋は、原告が前日右足を負傷し、当日も包帯を巻いて出勤した状況を見て、原告が当日従事すべきラインでのスポット溶接作業に従事させるのは困難であり、ライン以外の軽作業に従事させる他ないと考えていたが、まだその旨原告に伝えていなかった。

(5) 原告は、片足だけ安全靴を履けという小椋の意図を疑い、また右足を負傷しているのに現場作業を命じられたと思って憤慨したが、小椋の指示に従ってロッカー室まで安全靴を取りに行き、左足を安全靴に履き替えて、休憩所まで戻ろうとした。

しかしながら、草履履きの右足と安全靴を履いている左足のバランスが悪くて歩きづらかったため、原告はかえって作業がしにくいと考え、途中で再びロッカー室に戻り左足も草履に履き替え、安全靴を手に持ったまま休憩所まで戻ってきたところ、原告が草履履きのままであることを見咎めた小椋が、安全靴を履いていないことを詰問したため、原告は腹を立て手に持っていた安全靴を休憩所の椅子に叩きつけたが、その後小椋の指示に従い、再度左足だけ安全靴に履き替えた。小椋は原告が安全靴を履いたことを確認し休憩所を離れた。

(6) その後、休憩所に伊藤が入って来て、原告の様子を見たところ、原告が再び安全靴を履いていなかったことから、伊藤も原告に対し、安全靴を履くよう指示したところ、原告はこれに従った。もっとも、原告は、安全靴を履くようにとの伊藤の指示を、足の負傷にも拘らずラインでのナット付けのスポット溶接作業を命じられたものと誤解した。

(7) 伊藤は、小椋から、原告の負傷状況から原告がラインでの仕事をすることは無理であり、原告が担当する予定であったスポット溶接作業を伊藤が替わりに行い、原告にはテイキン台帳の整理等ライン以外の軽作業に従事させるようにとの指示を受けていたので、当日自らが行うべきスポット溶接作業の段取りをするため作業場へ向かった。

(8) その後、再び休憩所へ戻ってきた小椋に対して、原告は、伊藤からライン作業をするよう命じられたが、自己の負傷状況ではそのような作業は無理である旨抗議した。これに対して小椋は、伊藤がそのようなことを指示するはずはない旨答えていた。そこへ伊藤が前記スポット作業の段取りを終えて再び休憩所に戻り、奥の机の所へ行き当日原告に従事させる予定にしていたテーキン台帳整理作業の段取りに取り掛かった。

そして、伊藤が右準備作業を終了し、スポット溶接作業に取り掛かるために作業場に行こうとして、小椋と話している原告の後ろを通り過ぎようとしたところ、原告が小椋に対して、伊藤が原告にライン作業を命じたと言っているのが伊藤の耳に入った。

(9) そこで、伊藤は、原告と小椋に対して、自分はそのようなことを原告に命じてはいないと言って作業場に向かおうとしたところ、原告は、「努が言ったじゃないか」等と伊藤に抗議しながら伊藤を追いかけ、別紙図面三のE地点付近において同人を呼び止め、原告の方を振り向いた伊藤の作業着の左胸附近を右手で掴んで後ろの方に押すようにして伊藤を突き倒したため、伊藤は左腕側から斜めに倒れ、左側のひじから肩にかけての部分をコンクリート床面で強く打った。

(二) 以上のとおり認められ、原告の供述のうち、右認定に反する部分は前掲証拠に照らして信用できない。

3  これに対し、原告は、本件懲戒処分は被告の労災隠しの体質とその意を受けた中間管理職の労災隠しの策動を許そうとしなかった原告の言動を嫌悪し、報復のため、本件暴行事件を捏造してなされたものである旨主張し、原告及び(人証略)の供述中には、これに沿う部分が存在する。そこで、被告にそのような体質があり、中間管理職である小椋、伊藤、山田らにおいて事実を捏造して原告を懲戒処分に陥れるに足りる動機が存したか否かの観点から原告らの右供述の信用性について検討する。

(一) ジンキ職場及び有機溶剤中毒について

(1) (証拠略)、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

原告は、昭和五五年六月からボデー課本付附に配属され、五六年五月フロアー溶組班へ配置換えになるまで、ジンキ(亜鉛の粉末をキシレンという有機溶剤で溶かしたもの)職場において、ジンキを部品に塗付する作業に従事していたが、その期間中である昭和五五年八月ころから、吐き気がしたり、頭が痛い等の自覚症状が生じ、有機溶剤中毒に罹患したのではないかと疑い、大江診療所で受診し、右のような自覚症状や職場の状況等を訴えたところ、大江診療所の担当医師は右のような原告の訴えから有機溶剤中毒の可能性も考えたが、大江診療所では充分な検査ができないとして設備の整っている病院で精密検査を受けるよう原告に指示した。

その後昭和五五年九月ころ、原告は三菱病院で血液検査、心電図検査等の精密検査を受けたが、その結果からはシンナー中毒等の薬物中毒の症状は見られないとの説明を受け、むしろ胃が悪い等の診断を受けた。原告は右診断内容が不満で疑問を持ったため、さらに東市民病院で受診して再度検査を受けたところ、検査の結果、東市民病院の担当医師は、特に薬物中毒を疑うに足りる他覚的所見は見受けられなかったが、脳波に若干の異常が認められたため、原告の主訴、自覚症状等をも勘案して、有機溶剤中毒の疑いとの診断を下した。

その間、原告は、ジンキ職場の改善を上司の職制等に訴えていたが、原告の希望するような改善施策が採られないため、原告は南労基署に職場の作業環境改善のための行政指導をするよう求め、右監督署の係官が原告のジンキ職場に立入検査を行い、その結果、名古屋南労基署は、本件ジンキ職場について労働安全衛生法及び同法施行規則等に違反するとして、被告に対して指導票を交付して二〇項目位について改善指導を行った。

また、原告は右有機溶剤中毒について労災保険法に基づく療養補償給付の申請をしたところ、昭和五七年四月に南労基署長により労災と認定され、療養補償給付の支給を受けたが、右労災申請に際して、被告は事業主証明を行わなかった。

以上のとおり認められる。

(2) ところで、右認定の事実経過から明らかなとおり、原告の有機溶剤中毒の症状は最終的に労災として認定されているものの、医師による検査をもってしてもこれといった他覚的所見はなかったというのであるから、このような原告の症状について、被告側の担当者が原告の言い分を採用せず、事業主証明を行わなかったことには一定の理由があったと言うべきであり、したがってこれら原告の有機溶剤中毒罹患等の訴えに対し、被告ないしその職制において原告の意に沿わない対応状況があったからといって、このことから直ちに被告側に計画的、意図的な労災隠しの体質があったとまで認めることは困難である。

また原告のジンキ職場の作業環境改善の訴えについて、被告側もそれなりの改善施策を採っていることが認められることからすれば、原告の希望するとおりの改善施策が実施されなかったとしても、そのことをもって、被告あるいはその職制が、原告に対して、原告の職場改善の活動を嫌悪し、いやがらせを行っていたと認めることもできない。

(二) スパッターによる右眼の火傷について

(1) 原本の存在及びその成立について争いのない(書証略)、原告本人尋問の結果真正に成立したと認められる(証拠略)及び原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、以下の各事実を認めることができる。

原告は、昭和五九年六月二〇日ころ、二日前の同月一八日に原告がスポット溶接作業に従事した際、隣の作業者のスパッター(溶接の際に発生する火花)が右眼に入って右眼に異常がある旨、小椋作業長に申し出て三菱病院で受診した。担当医師は、最初の問診における原告の主訴から角結膜火傷の疑いとの診断名をカルテに記載したが、後日の診察において、原告の左眼にも同様の症状が現れたため、最終的に「出血性角結膜炎」又は「流行性角結膜炎」であるとの診断を下した。

原告は、三菱病院の医師が角結膜火傷であるとの診断を下したとして、右火傷を労災扱いするよう被告担当者に申し出たが、担当者は、原告の右申し出がスパッターが目に入ったとされる日の二日後であったこと、隣の作業者のスパッターが保護眼鏡をして作業していた原告の右目に入ることは通常考えられないこと、三菱病院の医師が右のような診断を下していること等を勘案したうえで労災扱いしない旨伝え、結局原告は右眼の異常について労災申請をしなかった。

なお、(書証略)(カルテ)中の記載内容が、改ざんその他虚偽になされたと認めるに足りる証拠はない。

(2) 右認定の事実によれば、原告が、被告担当者に労災保険給付の申請手続を求めたのに対し、被告担当者が、原告の右発症を労災でないと判断したことについて格別不合理な点は見当たらず、結局スパッターによる火傷の件も、被告及びその職制が労災隠しを行ったと認めるに足りる事情ということはできない。

(三) 大江診療所及び三菱病院の労災隠しへの加担について

なお、原告は、被告の労災隠しの体質として、三菱病院及び大江診療所がそれに加担している旨供述するが、前記のとおり、これら病院が被告の労災隠しに加担したと認めるに足りる事情はなく、むしろ医療機関としての通常の診療行為をなしたものと認められる。この点に関する原告の供述は、結局前記認定のとおり大江診療所及び三菱病院において受診した際に原告が予想した診断と異なった所見が示されたため、原告がこれら診療機関に対し抱くに至った先入観からなされたものであると言うほかはない。

しかも、総合病院である三菱病院及び大江診療所の医師が、その実質上の経営主体が三菱重工業株式会社という被告と同一企業グループであるというようなことから、医師としての良心を捨て、労災と認められるものを敢えて私病であると診断するなどといったことは一般的にも考え難いことであることを考慮すれば、大江診療所及び三菱病院において、被告の労災隠しに加担していたと認めることは到底できない。

(四) 安全オリンピック及び本件労災事故の処理について

(1) 被告作成部分については弁論の全趣旨によって真正に成立したと認められ、その余の部分については成立に争いのない(書証略)、いずれも成立に争いのない(証拠略)並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

被告名自においては、昭和五九年五月から同年八月までの四か月間、安全オリンピックと称する活動を行っていたが、右活動は、従業員等の安全意識を高めるとともに、労災事故の減少等を目的とするものであり、具体的な内容として労災事故の発生を減点項目とし、災害ポテンシャル提案の件数や安全ポイントの作成見直しの内容、職場美化状況、指差呼称の実施状況等を加点項目とし、総合得点で優秀職場を表彰する等して、職場における安全衛生活動の活性化を図ろうとするものであった。

本件労災事故は、右期間中に発生したものであるが、それまでにも右期間中に発生した労災事故の件数等は公表されており、また、本件労災事故による原告の負傷についても、前記認定のとおり小椋作業長は、原告に対して公傷として大江診療所で受診するよう指示し、また後日ボデー課の安全衛生委員会で事故の要因と対策の検討が行われ、その結果は作業班の朝礼において従業員に説明した。

被告においては、労災をその規模や傷害の程度から、「休業災害」、「不休災害」及び「赤チン災害」に区分し、比較的軽微な災害については「赤チン災害」として、被告における統計上労災として扱わないことにしている。

もっとも、それはあくまで統計上の扱いであって、「赤チン災害」として社内的に扱われる場合でも、加療がなされれば労災保険給付等の手続が行われており、現に原告の本件労災事故による右足の負傷については、社内的には「赤チン災害」として扱われたが、労災保険給付を受けている。

(2) 右事実を総合すれば、右安全オリンピックの期間中、職場における労災事故の発生について被告及びその職制が敏感になることは推測できるけれども、右のように、安全衛生意識を高めるために期限を区切って活動することは、企業に限らず一般社会においてしばしば行われているごく通常の活動であり、そのような活動が行われていたことをもって、被告及びその職制において労災隠しの特別の意図を有していたものと認めることは到底できない。

そして、原告の山田に対する暴行の経緯となった原告と小椋、山田らとの診療機関を巡る言い争いの背景についても、山田らが大江診療所で治療を受けるよう指示したことが労災隠しの策動であると認めることは、前記のとおり大江診療所がそのような行為に加担していたと認めるに足りる証拠がない以上根拠がなく、また山田が大江診療所の診療時間終了後に山口外科で治療を受けるよう勧めたことについても、同様に山口外科が労災隠しに加担していることを認めるに足りる事情のないことに鑑みれば、労災隠しの意図をもってなされた策動であるといえないことは明らかである。

(五) 以上述べたとおり、被告が労災隠しの体質を有し、中間管理職等において、原告を陥れてまで原告を懲戒処分に処する具体的必要性があったと認めるに足りる事情は存しない。

そうすると、原告の本件各暴行に関する供述部分のうち一と1(一)及び同2(一)に各認定の事実に反する部分は、原告の主観的認識はともかく、客観的にはその前提事実たる被告の労災隠しの体質や、その意を受けた中間管理職等の労災隠しの策動等の事実が認められないことに照らし、にわかに信用できないというほかはない。

4  そこで、以上認定の事実を踏まえ、本件懲戒処分の相当性について判断する。

(一) 本件懲戒処分は前記争いのない事実等記載のとおり、就業規則七二条一項五号及び六号に基づいてなされたものであり、右条項は、「正当な理由なしに業務命令もしくは上長の指示に反抗し、または職場の秩序をみだしたとき」(五号)、「他人に暴行脅迫を加え、またはその業務を妨げたとき」(六号)にそれぞれ懲戒解雇に処するが、情状酌量の余地があると認められるときは、出勤停止または減給にとどめることがある旨を規定している。

そして、本件懲戒処分の対象となった原告の暴行行為のうち、山田に対する暴行行為は、同条六号の「他人に暴行を加えたとき」に該当するということができるが、右暴行の程度は、前記認定のとおり山田の右腕上部を掴んだという程度であること、また右暴行に至った原因も、名南病院での受診を希望した原告が、定型的な処理にこだわって原告の希望を入れようとしなかった山田主任その他の職制に対する腹立ちからなされたものと認められ、本件において名南病院を受診することの相当性はともかくとして、医師選択が基本的に自由であることからすれば、その動機においても宥恕すべき点があることを考慮すると、右山田に対する暴行行為のみをもって本件懲戒処分の対象行為となすことは、処分の相当性を欠くおそれなしとしない。

(二) しかしながら、伊藤に対する暴行行為は、前記認定のとおり、直接の上司を押し倒したというものであって、これが前記就業規則七二条五号所定の「正当な理由なしに業務命令もしくは上長の指示に反抗し、又は職場の秩序をみだしたとき」及び同六号所定の「他人に暴行脅迫を加え、またはその業務を妨げたとき」に該当することは明らかであると言うべきところ、右のような暴行態様に鑑みれば、右暴行によって伊藤が負傷したか否かに拘らず、被告の社内秩序維持の観点から看過することのできないものというべきであって、その動機が、右足を負傷している原告に対して伊藤がラインの仕事をさせようとしているとの誤解が引き金になったものであることを考慮しても、懲戒処分をもって臨むに足りる重大な非違行為であったと言わざるを得ない。

(三) そして、本件懲戒処分が、右のような原告に酌むべき事情及び本件労災事故による原告の精神的不安定等を考慮したうえで、就業規則七二条一項の「情状酌量の余地があると認められるときは、出勤停止または減給にとどめることがある」との文言に従って、減給一等の処分とされたこと、減給一等の処分の程度は、被懲戒者の平均賃金の一日分の五〇パーセント相当額を減ずるものであり具体的には原告の月額給与から金二七三八円を控除したにとどまること等に鑑みれば、被告において本件懲戒処分をなすにあたってその裁量を誤り、苛酷な処分をなしたとは認められない。

二 争点2について

次に本件懲戒処分の手続的な違法性の有無について判断する。

1  一般的に、企業内における懲戒処分は、企業内における秩序維持の観点から認められているものであって、懲戒権を行使するに当たり国家の刑罰権行使に関する厳格な手続と同様の手続を採らなければならないと解する根拠はない。そして、就業規則等において、懲戒処分に関する実体的要件とともに手続的要件が定められている場合においても、右手続的要件が合理性を備えている限り、右手続に従ってなされた懲戒処分は有効であるというべきである。

2  これを本件について見るに、懲戒処分の手続に関する被告の定めは、前記争いのない事実等記載の就業規則、労働協約、事業所協定及び表彰懲戒委員会規程等に定められたとおりであって、右就業規則等において定められた懲戒手続は、企業における懲戒手続を定めたものとして比較的整備されているものであり、その手続内容としても充分に合理性を有するものであると認められる。

3  そして、いずれも成立に争いのない(証拠略)及びこれにより真正に成立したと認められる(書証略)原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、本件懲戒処分がなされるに至った手続について次のとおり認められる。

(一) 本件暴行事件発生後、懲戒事案を所掌する勤労課の河添勤労課長は、ボデー課の山内課長及び田中安全福祉課長からこれら事件の一連の経過について報告を受けたため、八月三〇日ころ、原告及び小椋、伊藤、山田ら関係者に対して事情聴取を行った。

(二) 右事情聴取において、原告は本件原告の主張と同旨の弁解をし、これに対し、小椋、伊藤、山田らは本件被告の主張と同旨の供述をした。

(三) 河添課長は、右事情聴取の結果、原告が本件暴行行為を行ったとの判断に達し、懲戒委員会を開いて原告の行為につき懲戒処分をなすべきか否かを審議することが相当であるとして、労働協約及び表彰懲戒委員会規程に基づき、懲戒委員会を開催するための手続を採った。

(四) 九月二四日、表彰懲戒委員会規程所定の委員で構成された懲戒委員会が開催され、本件暴行事件に関する審議が行われた。

右懲戒委員会においては、河添勤労課長及び長岡人事係長から、前記事情聴取に基づく事実経過や原告の弁明の内容等が報告され、委員による検討がなされたが、組合支部側の委員から組合として独自に事実調査を行いたい旨の申し出がなされ、委員長がこれを了承して、次回の委員会開催日を九月二七日とすることに決めた。

(五) 同月二五日、組合支部側の懲戒委員たる新美委員長、井藤書記長、尼子執行委員は、原告に対して本件暴行事件について事情聴取を行ったが、右事情聴取においても、原告は前記と同様の弁解をした。

(六) 同月二七日、懲戒委員会が再開され、組合支部側の懲戒委員らは、右のとおり組合支部として独自に原告をはじめ関係者から事情聴取を行ったが、本件暴行事件は原告の暴行行為に基づくものであると判断せざるを得ない旨報告をなし、その結果原告に対する処分案の審議が行われた。

右審議において、出勤停止一日の処分とする意見と、更に情状酌量して減給相当とする意見が出されたが、委員会としては原告に対する懲戒処分は今回が初めてであること、被害者の怪我も軽微であること、原告がかかる行為に及んだのは怪我により精神的に不安定であったからとも考えられること等を勘案して、減給一等の処分案で所長答申とすることを決した。

(七) 一〇月一一日、懲戒委員会の審議の結果に基づき所長宛報告及び決裁手続が進められ、同所長は翌一二日に同委員会の答申どおりの処分とすることを決し、同月一五日、原告の所属長である山下道生大江工作部長を通じ、原告に懲戒処分として減給一等に処する旨告知するとともに、同月一九日支払いの原告の給与より、原告の平均賃金一日分の五〇パーセントに当る金二七三八円の控除を行った。

以上のとおり認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

4  右認定の事実によれば、本件懲戒処分は就業規則、労働協約及び表彰懲戒委員会規程等所定の手続に則って行われたものと認められ、その手続的な運用に不合理な点は認められないから、本件懲戒処分が手続的に無効であるということはできない。

なお、前記認定のとおり、本件懲戒処分をなすにあたって、被告は河添勤労課長及び長岡人事係長らが、原告を含む関係者に対して事情聴取を行い、また組合支部側懲戒委員も念のため事実調査を行っていることからすれば、原告は自己のどのような行為が懲戒処分の対象となっているのかを把握することは充分できたというべきであるし、また原告と山田、伊藤らとの言い分が食い違っている場合に、事情聴取を行う者が山田、伊藤らの言い分を前提として原告に対して事情聴取を行ったとしても、そのような事情聴取の方法自体が不当であると言うこともできず、これらの事情聴取等を踏まえた上で、懲戒委員会が結果的に原告の言い分を採用しなかったとしても、それが手続的に違法ということはできない。むしろ、組合支部側懲戒委員が念のために再度事実調査を行っていることからすれば、本件懲戒手続は、手続的にはむしろより慎重になされたものということすらでき、さらに、本件懲戒手続において再審議が必要であると認めるに足りる事情も存しないから、いずれにせよ原告の主張は採用できない。

三 争点3について

以上説示のとおり、本件懲戒処分は実体的にも手続的にも違法であるということはできないから、原告の不法行為に基づく請求は、その前提を欠き失当である。

第四結論

以上の次第であるから、原告の本訴請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 福田晧一 裁判官 潮見直之 裁判官 黒田豊)

別紙(略)

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